教室の中からは楽しそうな話声が聞こえる。
 自分が壊してはいけない世界だと真輝は思った。
 少し前まで自分がいた世界。
 岡は、真輝に視線をやった後、躊躇いなくドアを開いた。
「ちゅーーーーっす」
「あっれ?秀哉」
 秋月先輩の声が聞こえる。
「いいもん捕獲してきましたよ〜〜」
「え?何なに?」
 先輩が近づいてくるのが解る。
「巨大ウジ虫w」
「ゲ・・・」
 秋月が渋い声をあげる。
「ほら、白兎もコッチきてみな〜世にも珍しい超巨大ウジムシだぞ〜〜」
 岡がペシペシと、俯いたままの真輝の頭をたたく。
「岡クン・・またそんな意地悪してんの・・・?」
 白兎の声が近づいてくる。
 真輝は俯いた頭を更に低くした。
 足音が止まる。
「あれ?ま・・・き?」
 静かだった胸が騒ぐ。
 この前からオカシイ。
 どうもオカシイ。
 情緒が不安定でどうしようも無い。
「お・・・おぉ、白兎、久しぶり」
 強引に笑ってみせる。
 まっすぐに見つめてくる白兎の目を見ることが出来ない。
「わ・・・わりぃな、邪魔して。ほら、岡。帰んぞ」
 視線を上げないまま、岡の腕を取る。
「真輝?」
 白兎が少し驚いたような声で名前を呼ぶ。
「この前は悪かったな。ムキんなって」
「真輝?」
 いつもと明らかに様子が違う真輝に白兎も気付いたようだ。
 ぐすっと、真輝は鼻をすする。
 天井を見上げ大きく深呼吸をすると、真輝は目を閉じた。
「白兎」
 まっすぐ真輝は白兎を見た。
「真輝?どうしたんだよ。今日、おかしいよ?」
 心配そうに見上げてくる白兎を見ると、心が揺らぎそうになる。
 やっぱり白兎は可愛い。
 可愛い。
 カワイスギル。
「白兎」
「う・・うん」
「この前は、・・・あの・・悪かったな」
「え?あ・・・・・あぁ・・それは僕のほうこそ・・ご・・」
 白兎が全て言い終わる前に、もう一度大きく息を吸い込んだ。
 そして自分が思う飛び切りの笑顔を作ると、両手を白兎の肩に置く。
 真輝は真剣だった。
「幸せにしてもらうんだぞ!!」
 声が静かな別塔にこだまする。
 誰も、何も発しなかった。
 あるのは沈黙のみ。
 真輝の顔は過去最大とも思えるくらい崩壊していた。
 立ち尽くした顔には、涙ともヨダレとも鼻水ともとれない液体が、とめどなく滴
り落ちている。
「・・・・父かよ!」
 岡の、キレの良いツッコミが真輝の頭を直撃する。
 関を切ったように秋月が腹を抱えて笑った。
 当惑するのは白兎のみだ。
「あ・・・えっと・・・真輝?」
 叫んだままの姿で立ち尽くす真輝の顔に、そっと白兎は手を伸ばす。
「真輝?どうしちゃったんだよ。なんで泣いてんの?てか、“幸せに・・してもら
う”ってどういう意味?」
 当惑したままの白兎はまくし立てるように、疑問をぶつける。
 それを、岡が「まぁまぁ」と制した。
 ぐずぐずになった顔を、ポケットからだしたハンカチで岡が拭う。
「ほ〜ら、可愛いウジ虫ちゃん。汁がだだもれですよ〜〜」
 まるで、母親がそうするように、岡は真輝の顔を拭う。
「ねぇ、岡、どういうこと?真輝、どうしちゃったの?」
「ん〜・・そうだねぇ・・白兎ちゃんさぁ・・・」
 岡の周りの空気が一瞬で変わる。
「白兎ちゃん・・・なんか最近、超カッコイイ彼氏が出来たらしいじゃん」
 真輝の体がピクンと動く。
 触れていなければ解らないほど僅かな動きを岡は感じていた。
「しかも、超ラブラブって噂だしぃ〜」
「え?ちょっ・・岡・・なにそ・・」
「もしかして、もう身体の関係なんてもっちゃったりしてんのかな?」
 真輝の身体がこわばる。
「普通に男を抱こうなんて思ったことは無いけど、白兎だったら良いな。そこいら
の女の子より全然可愛いし」
 そういって岡は言葉を切る。
「どんな声で鳴くのかなんて、考えただけでゾクゾクするね」
 真輝の耳元。
 低い声が脳をくすぐる。
「真っ白で柔らかい、マシュマロみたいな肌に男の舌が這うんだ」
 岡の言葉が真輝の頭を反芻する。
「岡、悪ふざけもいい加減にしないと、怒るよ」
 珍しく白兎の声に怒りが混じる。
「なぁ真輝」
 岡は白兎を無視して話を進める。
「ま〜きっ」
 頭を胸に抱え、耳に口を寄せる。
 声が囁きに変わる。
「・・・ぇ・・・」
 岡が何を言ったのか、白兎には聞き取れなかった。
 が、真輝はピクンと身体を震わせ、反応を見せた。
 岡が何かを囁くたびに、頬をこわばらせる。
 何かに耐えるようにきつく結んだ瞳は、まるで小動物を思わせた。
「え・・ちょっ・・・岡・・何して・・・」
 シャツをたくし上げられ、ベルトをカチャカチャと外される。
ファスナーを引き下ろされ、下のパンツが丸見えになってからようやく、真輝は自
分の置かれた立場に気が付いた。
「勃っちゃった?」
 岡の大きな手が撫でるソコには、明らかに勃起した真輝のソレがあった。
「ホント可愛いなぁ・・・・真輝は」
 まるで挑発するかのように岡は言う。
「やめちまえよ」
 まるで悪魔が囁くように。
 低く甘い言葉を岡は真輝に言う。
「つらいんだろ。苦しいんだろ?」
 またピクンと真輝の身体が震えるのがわかる。
 真輝は震えていた。
 岡はなおも続ける。
「・・・なせ・・・」
 岡が真輝の首筋に唇を落とすと同時だった。
 その場が凍りつくような冷たい声が降る。
「離せ」
 岡が視線を上げたソコには、白兎がいた。
「岡。歯ぁ食いしばれ」
 言うが先か、動くが先か。
 一瞬の出来事。
 白兎は、強く握り締めた拳を岡に振り下ろした。
「・・ぉ・・・ぉぃ」
 秋月が驚いたように倒れた岡に駆け寄る。
 白いタイルの床にポタポタと真っ赤な鮮血が落ちていた。
 なんでこんなことに。
 秋月は心の中で野次を飛ばした。
 真輝のヘタレ武勇伝は岡から散々聞かされていたが、今回の岡の暴走と、キレた
白兎は秋月の想像を超えている。
 白兎は荒い呼吸をまだ飲み込めず、立ち尽くしていた。
 大きなため息を落とし、秋月は俯いたままの岡を肩に担ぎ上げる。
「やりすぎだ」
 ポンポンと岡の背を叩き、秋月は岡を肩に担いだまま部屋を後にした。


 秋月と岡が出て行った部屋には、白兎と真輝が残された。
 と同時に、白兎は糸の切れた人形のように、ぺたりと床に座り込んでしまう。
「まぁたん」
 白兎はそのまま真輝のほうに腕を伸ばす。
 “まぁたん”というのは、小さい頃白兎が使っていた真輝の呼び方である。
「まぁたん」
 今度は、真輝の頬に触れる。
 温かい。
「ねぇ、まぁたん。なんで泣いてるの?」
 手は、頬をすべり耳に掛かる。
「まぁたん。教えて」
 少しずつ身体をずらし、白兎は真輝へと近づいた。
 小さい頃と同じように白兎は言葉を重ねる。
「お願い」
 しばしの沈黙の後、真輝の口が少しだけ動いた。
「・・・・・から・・・」
「何?」
「俺は・・・・・が・・・と・・・だめだから」
 ポツリポツリと声にならない言葉を話す真輝の口元に耳を寄せる。
「まぁたん何?」
「俺・・・白兎が居ないとダメなんだよ・・・」
 ネコが頭を擦り付けるように、真輝の頬が白兎の肩を撫でる。
「白兎が居ないと・・・・ダメなんだ」
「まぁたん・・・」
「白兎いないと・・・俺・・寂しくて・・・」
「うん・・」
「白兎いないと・・・切なくて」
「うん・・・」
「一緒に居たいよ・・・」
「うん・・・」
「俺、白兎のこと大好きだから。これまでも・・・これからも。ずっと」
 愛おしい。
 白兎はこれまでに無い疼きを覚えていた。
 自分よりも小さな肩に頭を埋め、ただただ自分が必要なのだと泣く男が居る。
 それは自分にとってかけがえの無い相手であり。
 何にも変えられない無二の存在だった。
 白兎は、そっと真輝の頭を肩から起こすと、真赤になった目頭を拭ってやった。
 そして、昔、内緒話をする時よくしたように、コツンと額と額をぶつける。
 それでもあふれ出す真輝の涙は止まることを知らない。
「まぁたん、泣かないで」
 白兎は真輝の額に小さなキスを落とす。
「僕のまぁたん」
 泣きはらした瞼にまたキスを1つ。
 小さな頃。
 泣き虫だった自分に、真輝がかけてくれた魔法。
「泣き虫さん。お願いだから涙を止めて。僕の大好きな笑顔を見せて」
 白兎はそういうと、唇にもう1つキスを落とした。
 小さな唇から体温が伝わる。
「っ!?」
 唇にぶつかる柔らかな感触に、真輝はようやく固く綴じた瞳を開けた。
 目を開けたすぐ傍に、白兎の顔がある。
 ゆっくりと白兎の顔が離れていく。
 その柔らかなものが白兎の唇だと気付くのにしばし時間がかかった。
「・・・白兎・・?」
 驚いたように真輝は目を見開いた。
 ワケが解らない。
 展開がよく見えてこない。
(えっと・・・おれ・・・どうして・・なにがあったんだっけ・・・)
 錯乱した頭をフル回転させて考える。
(たしか・・・岡にファーストキス奪われて・・・調理室に行けなんていわれたか
ら素直に学校来て・・・そんで・・先輩と白兎の楽しそうな声が聞こえたから・・
だからちゃんと白兎の幸せを祈ろうって・・・仲直りして今までどおりの友だち付
き合いを重ねて・・・それから・・・それからどうしたんだっけ・・・)
「まぁたん」
 耳元で白兎の声がする。
「まぁたん、どうして泣いてたの?ボクに教えて」
 問いかけるように耳元に唇を寄せる。
「白兎」
「うん。ボクだよ。まぁたんどうして泣いてたの?」
「それは・・・・」
「ボクが居ないとダメってどういう意味?一緒に居たいって・・・」
 少し冷めた頭の中に、先ほど自分がうわごとのように発した言葉がよみがえり羞
恥の念が生まれ始める。
「いや・・・あの・・・それ・は・・」
「それはボクのこと好きっていうこと?」
 まっすぐに瞳を向けられる。
 あまりのまっすぐさに、目を逸らしたくなるが、頬を白兎に押さえられていては
そうもいかなかった。
「えっと・・・あ・・・っ・・と・・」
 だんだんと鼓動が早くなり、自覚の無い緊張に瞳が泳いだ。
「まぁたん、ボクの方を見て。ちゃんと見て。本当の気持ちを教えてよ」
 白兎は再び真輝の額に自分の額をぶつけた。
 そして小さく言った。
「ボクはまぁたんが好きだよ」
 真輝は再び信じられないというように目を見開いた。
「でも・・・」
 まっすぐに見つめる白兎から視線をずらし真輝は呟く。
 表情は暗い。
「でもお前・・・別に好きなヤツがいるんだろ。だから朝一緒に行きたくないって
言ってたじゃないか。だから俺・・お前から離れて・・・」
 今度驚くのは白兎の番だった。
 一瞬にして困ったような表情を作る。
「それは・・・」
「好きなヤツがいるからもう子供みたいに迎えに来るなっていったのはお前じゃな
いかっ。そいつと登下校したいからってことだろ!?」
 押しとどめていた気持ちが溢れるように言葉になった。
 少々ムキになっていたのかもしれない。
「・・これまでだって・・・これまでは・・相手が女の子だと思ったから我慢でき
た。白兎が幸せになるにはやっぱり相手は異性が良い。だから・・・俺・・我慢し
て・・・」
「真輝?どうしたの?誰のことを言ってるの?あの日の朝のことを怒ってるんなら
謝るよ。あの時は・・・」
「秋月先輩だろ。もう隠すなよ。解ってるから。しかたないよな、秋月先輩カッコ
イイし。皆の憧れだし。あの人ならしかたねぇよ。うん。しかたない・・・」
 白兎の言葉の最後を待たずに真輝はまくし立てる。
「無理しなくて良いよ。俺は大丈夫だからさ。秋月先輩には悪い事したな。すまん
。これからはちゃんと気ぃつけるし。白兎の方から謝っといてくれ。な」
「秋月先輩?なんでそこで秋月先輩がでてくるんだよ」
 更に当惑したように白兎が問う。
「隠すなよ。解ってるって」
「解ってない!」
 真輝にかけた腕をクビに回し、頭を胸に引き寄せる。
「ボクが好きなのは真輝だって言ってるでしょ」
「でも・・・」
 真輝は尚も食い下がる。
「ボクがすきなのは真輝・・・まぁたんだけだよ」
 抱き寄せた真輝の頭に頬をこすりつける。
「ごめんね」
 声が震えている。
 泣いているのかと思った。
「白兎?」
「真輝がそんな風に思ってるなんて知らなくって。・・・・・・まぁたんがこんな
に悩んでるって知らなくて」
 触れた白兎の肩が小さく震えている。
「秋月先輩には、ケーキの作り方を教わってたんだ」
 少し躊躇ったあと白兎は言った。
「もうすぐ誕生日だから何か贈り物したいって思って。思い切って自分の気持ちも
伝えようって、思ったから。・・・岡に相談したら、秋月先輩紹介してくれて・・
それで・・・・」
「誕生・・・日・・?」
「明日、ちゃんと綺麗にラッピングしてから家に襲撃する予定だったのに」
 クビに回した腕の締め付けに力が増した。
「内緒で驚かせる予定が全部パァじゃんか」
 真輝はようやく理解した。
「じゃぁ・・・朝一緒に登校できないって言ったのは・・・」
「早く行って、先輩にケーキ教えてもらうため」
「好きな人がいるって言ったのは?」
「他に良い言い訳が思いつかなかったのっ」
「先輩と付き合ってるっていう話は・・・」
「誰がそんなこと言ったんだよ」
 真輝は、必死に自分にしがみつく白兎の背に腕を回した。
 力を入れると、折れそうな細い背中を抱きしめる。
「白兎」
「うん」
「俺、お前が居ないとだめなんだ」
「知ってる」
「好きだよ」
「知ってる」
「大好き」
 白兎は抱きしめる腕を緩め、クスリと笑った。
「まぁたんには僕が居ないとダメなんだもんね」
 見上げた白兎の顔は笑っていた。
 ふわりと笑う白兎の笑顔はまるで天使の羽根のように柔らかい。