女と言うのはどうしてこうも、噂話が好きなのだろうかと思う。
 特に発展途上の女子たちは、恋愛話に居止めがない。
 どこのクラスの誰が誰と付き合っていて、いつ誰が誰と別れたのか。
 そんな話ばかりを繰り返している。
 代わり映えの無い話は、酷く真輝の心をくたびれさせた。
「白兎欠乏症だ・・・・・」
 移動教室の途中、とぼとぼと真輝は呟いた。
 そんなときである。
「ねぇ、聞いた?」
「何なに?」
「1組のあの可愛い子いるじゃない?」
「可愛い子?」
「うん、ほら・・えっと・・なまえ何っていったっけ?白い・・ウサギってかいて

・・・」
「白木クン?」
「その子っ」
「が、どうしたの?」
「昼休みに、広子が見たらしいんだけどぉ」
「うんうん」
「なんでも、3年の秋月先輩とぉ」
「え!?秋月先輩って、あの秋月先輩!?」
「そう、その秋月先輩とキスしてたんだって!!」
「うそーーーーっ!!マジ?!」
「マジマジ」
「ウワーーww」
「でもさ、あの白木クンと秋月先輩なら有りじゃない?」
「確かにw」
 “ドクン”心臓が大きく鳴るのが聞こえる。
 真っ暗な闇の中で、何も音の無い世界。
 たった一つ聞こえるものが自分の心臓だったらこんな風なのかと、ふと思った。
 秋月 泰成(アキヅキ タイセイ)先輩。
 真輝達より1つ上の3年生。
 端麗な容姿にくわえ、先生からの信用も厚い、生徒会長を務める人物である。
 学年を問わず、秋月を好きだという女子は少なくない。
 けれど、秋月が彼女を作ったという噂も聞いたことがなかった。
 硬派なその姿勢はまた、羨望の眼差しをも集めてさえいた。
 その秋月先輩が白兎とキス・・・・そればかりが真輝の頭の中をぐるぐると旋回
した。


 それからの事を真輝は覚えていない。
 肩を大きく揺さぶられ、耳元で叫ぶ岡の声でようやく放課後になっていると言う
ことに気がついたのだ。
 岡が言うには、移動教室が始まってからの真輝はまるで抜け殻のようになってい
たという。
 青くなったと思えば今度は紅くなり、紅くなったかと思えば、額から大量の汗を
噴出し震える。
 瞳孔は開きっぱなし。
 鬼と恐れられる社会科の教師でさえ、少々怯えていたのだという。
「どうした?大丈夫か?何かあったか?」
 子供に問いかけるように、岡はユックリと目を見て問いかける。
「真輝?」
「帰る」
 戸惑ったように自分の名前を呼ぶ岡に触れることなく、真輝は教室を跡にした。


 白兎に最初に彼女が出来たのは、中学1年の時。
 2つ上の派手目の女だった。
 真輝が白兎に対する気持ちが、友情とは違うと気付いたのも、この時だ。
 あの大人しくて、人付き合いがまったく出来なかった白兎に彼女が出来た。
 それ自体は、白兎が望んだこと。
 本来ならば、喜んでやるのが心情だった。
 友の幸せを一緒に喜んでやるべきだった。
 けれど、真輝は違った。
 何が違う?
 考えた末の結論だった。
 男同士では或るはずの無い感情がソコにある。
 これは恋だ。
 白兎を独占する女を疎ましく思うのは嫉妬。
 真輝は、焦がれるという気持ちをこのとき初めて自覚したのだった。


 家に帰り、部屋に戻るなり真輝はベッドに身を投げ出した。
 何も無い天井を見上げ、ただただ考える。
 これまでだって、白兎には付き合っている女がいた。
 白兎は女の子が好きなのだ。
 だからこそ、自分の気持ちを心の片隅にしまいこんだ。
 何よりも、白兎には幸せになって欲しいと思った。
 いつか、白兎が家庭を作りたいと言ったときには、誰より祝福してやろうと思っ
ていた。
 白兎の子供。きっと可愛いだろう。
 そんなことばかりを考えていた時もある。
 それなのに・・・・・
「秋月って・・・男じゃねぇかよ・・・・」
 真輝は両手で目の上を覆い、力いっぱいこぶしを握りこんだ。


 あれから1週間が経ち、学校は夏休みに入った。
 代わり映えの無い毎日があっという間に過ぎていく。
 朝と昼の逢瀬が唯一の接点だったため、真輝はあの日以来白兎とまともに話をし
ていない。
 学校ですれ違っても妙に避けられているような気さえする。
 真輝はただただ無気力だった。
 と、そんな時、家のチャイムが鳴る。
 チャイムが鳴り続けるところをみると、家族は出かけてしまったらしい。
 しかたなく、階段を居り玄関の扉を開けると、岡が立っていた。
「よっ」
 半そでのTシャツにジーンズというラフな格好に、スイカを1つ抱えている。
「婆ちゃんがいっぱい送ってきたからさ、おすそ分け」
 ニッと笑った顔は、落ち込んでいる真輝を元気付けようと来てくれたのに違いな
かった。
「どうせまた素麺ばっか食ってんだろ?」
 ぼけっとつっ立ったままの真輝をよそに、脇をすりぬけ家に上がる。
「おじゃましま〜す。って・・あれ?おばさん達は?」
 言われてようやく、母が法事に出かけるといっていたのを思い出した。
「法事だって、出かけてる」
「そっか。なら丁度いいな。台所借りるぞ」
 岡は台所に入ると、手際よく、スイカを切り分ける。
「お前の為に、ちゃ〜〜んと冷やして来てやったんだぞ〜」
 まるで子供にでも言うように岡は言った。
「ほら、そこ座れ」
 岡は包丁をスイカに向けたまま顎で真輝に指示する。
「お前のことだから、今日もまだなんも食ってないんだろ」
 時計を見てもう昼を過ぎていることが解る。
「スイカだけじゃなんだな・・・なんか食いたいモンあるか?」
 岡は冷蔵庫をすでに物色し始めている。
「カレーとかどうだ?」
 真輝の返事は無い。
 あれから一週間。
 ずっと抜け殻だった。
「あ〜でもジャガイモがないな・・・」
 冷蔵庫からの視線が真輝に移る。
「真輝」
 岡が真輝を呼ぶ。
「真輝」
 同じように岡は言う。
「真輝」
 3度目に呼ばれた時、真輝が顔を上げると岡はすぐ傍に立っていた。
「お前、溜め込みすぎだぞ」
 イスに座り少し見上げた角度の真輝の瞳に岡の瞳が重る。
「いつだってそうだ」
「・・・・岡?」
 少し岡の声が震えているような気がした。
「いつだってお前は・・・・・」
「どうしたんだ?岡・・?」
「いつだってお前は、白兎だった」
 今度は真輝が当惑する番だった。
「白兎以外の何も見ようとしない」
「どうしたんだよ、岡」
「白兎、白兎、白兎、白兎、白兎っ・・・・白兎・・・」
 肩に置かれた岡の拳に力が篭る。
「お・・・かっ・・んぐっ・・」
 震える岡を覗き込もうとした瞬間・・・真輝は唇を塞がれた。
 柔らかくて温かい。
 少し湿り気を帯びたそれが、唇だと解る。
「お・・ぃ・・お・・k・・」
 口付けられていると気付き、真輝が抵抗を見せても岡は離れようとしなかった。
 それどころか、強引に、ぬめった舌を潜り込ませる。
「んっ・・・ふ・・・ん・・・・っ・・」
 慣れない行為に呼吸が乱れる。
 舌を絡ませ、時に貪りつくされるように口腔内を犯された。
「・・・・きだ・・・」
 抵抗できなくて、きつく目を閉じていた真輝の耳に小さく岡が言った。
「岡?」
「・・・・きだ・・」
 真輝は目を見開く。



「お前が好きだ。・・・・・・オレじゃダメか?」
 今度ははっきりと岡は言葉にする。
 きつく岡に抱きしめられても、当惑した頭ではまだ状況がよく理解できない。
「えっと・・・オレ・・・」
 岡は泣いていた。
 真輝が岡の泣き顔をみるのはこれが初めてだった。
 小学校に上がって同じクラスになった岡は、白兎ともすぐに打ち解けてしまった。
 頼れる兄貴分。
 それが岡だった。
 岡の言った言葉が頭の中で繰り返される。
 さっき岡は何て言った?
 白兎の事。
 オレが白兎を好きだってことか?
 いや、違う。
 岡は、オレが・・・オレが好きだと言った。
 自分じゃ白兎の代わりにならないかと言ったのだ。
「岡・・・オレ・・・」
 真輝が返事をする代わりに岡は大きく息をすった。
「わりぃ。こんなこと言うつもりじゃなかったのにな」
「え?」
「腐ってるお前があんまり可愛いなんて思ったら、とまんなくなっちまった」
「岡?」
「冗談だよ」
 岡は真輝の頭をポンポンと叩く。
「どうせ、白兎ばっかり追いかけてて、チューの1つもしたこと無いんだろうと思
ってな。俺サマがじきじきに教えてやったんだ。ありがたく思え」
 ニッと笑顔を作ってみせる岡の目頭はまだ赤い。
「あの・・・岡・・オレ・・」
「調理室」
「え?」
「学校の第2調理室に行ってみな」
 不意の言葉に真輝はさらに当惑する。
 岡は真輝の目を見ない。
「お前、3年の秋月先輩と白兎がデキてるって思ってんだろ?」
 図星を突かれて真輝は目を伏せる。
「これまでは女が相手だったから救いがあった。そう思って耐えてきたのに今度は
男が相手だ。だから余計に凹んでるんだろ?」
 その通りだった。
 言葉に詰まる。
「もしも男でも良かったんなら、もっと早く自分が告白すれば良かったって思って
んだろ」
「・・・・オレは・・」
「もしかしたら男の自分にだって望みはあったかもしれない。白兎は受け止めてく
れたかもしれないって」
 気持ちを全て言い当てられてしまった。
「気持ち悪いって、突き放されるのが怖かったんだろう?傍にいられなくなること
が一番怖かったんだよな」
 岡は、うな垂れた真輝の頭を撫でた。
「確かめて来い」
「え?」
「白兎に気持ちぶつけて、お前のことどう思ってるのか、ちゃんと聞いて来い」
「でも・・」
「スッキリしてこいよ。もしもダメならオレが受け止めてやる」
 今度は頭を抱え込み、岡は真輝の頭を抱いた。
 落ちた真輝をいつも慰めるように、背中をポンポンと叩くと、岡は耳元に口を寄
せる。
「白兎なんて忘れるくらい気持ちよくしてやるよ」
「っ!?」
「今度は身体で、な」
 顔を上げた真輝に岡はニヤリと顔を歪ませる。
 とてつもなく悪いことを考えている時の顔だ。
「ホラ、行って来い」
 真輝は、岡に背中を押されるがままに駆け出した。


 第二調理室は本校舎から少し離れた別塔にある。
 主に使うのが家政科の生徒たちなので、真輝がココに足を踏み入れるのは初めて
だった。
 岡は第二調理室へ行けと真輝の背を押した。
 ここへ来るまでも、その経緯について頭を廻らしていた。
 もちろん答えが出るはずもなく今に至る。
 真輝が足を別塔の奥へと進めると、何処からか話し声が聞こえてきた。
「・・・・パイ・・・めて・・・ださい・・」
 怯えたようなその声を真輝は知っていた。
「白兎!」	
 駆け出していた。
 こんなに全力疾走したのはいつ振りだろうか。
「や・・・っ・・・・あーーーーーーーっ・・・」
 声が近づく。
 その声は、だんだんと大きく、そして鮮明になった。
 真輝は、1段飛ばしで階段を駆け上がると、“第二調理室”と書かれた教室の前
に立つ。
 嬉しそうに話す白兎とは違う男の声。
 秋月先輩だ。
 秋月の声は良く通る。
 この学校で秋月を知らないものは居ない。
「先輩のバカ」
 むくれたような白兎の声がする。
 そういえば、白兎の声を聞くのも凄く久しぶりな気がした。
「なんで俺・・・白兎と喋んなくなったんだっけ・・・・」
 今さらそんなことを考える。
 一緒に登校するのを止めたいって言われて。
 好きな子がいると言われたから。
 だから・・・・・・
 それだけのこと。
「俺・・・・アホじゃん・・・」
 最初から白兎を応援してやって。
 これまでみたいに「頑張れよ」って背中を叩いてやって。
 そしたら・・・・
「そしたら・・・まだアイツの笑顔は俺の隣にあったかもしれないのに」
 真輝はくしゃくしゃと頭をかき混ぜる。
 帰ったらこれまでの気持ちをきちんと整理しよう。
 そんでちゃんと白木に謝ろう。
 どんな形であっても、白兎の隣に居たい。
「帰ろう」
 真輝は立ち上がると、第二調理室の扉に背を向けた。
 相手がどんなだったとしても、白兎が選んだ相手だ。
 誰が理解しなくても、自分だけは白兎の味方でいたい。
「泣くな真輝、お前は強い。そう、強い男なんだ」
 自分に言い聞かせるように言葉を繰り返した。
「白兎が幸せなら俺も幸せだ」
 さらば青春。
さらば・・・・・・淡い恋ごころ・・。
 さらば美しき初こ・・・・
「ぃって・・・」
 哀愁に包まれ立ち去ろうとする真輝は不意に何かにぶつかった。
 俯いて歩き出した為、開けた視線の先には男の足元しか見えない。
「お前・・・まだそんなウザイこと言ってんのかよ」
 見上げた先には、岡の顔があった。
「岡?なんでココに」
「何でって、俺がココに来いって言ったんだろうが」
「そう・・・だけど」
「どうせお前のことだから、またウジウジしてんじゃねぇかと思ったんだよ」
 言葉に詰まる。
 岡はうな垂れる真輝を見下ろした格好のままだ。
「岡」
「ん?」
「俺さ、白兎を応援しようと思うんだ」
「は?」
「やっぱり俺にとって白兎は全てだからさ。白兎が幸せならそれでいいんだよ。白
兎に謝って、仲直りして、今までどおりいい友達で・・・」
 言い終わる前に、真輝は岡に口をふさがれた。
 ガッチリと口を大きな手のひらで覆われている。
「ちょっと来い」
 え?と聞く間もなく岡は真輝を引きずって、今まさに来た道を引き返す。
 目の前に再び、「第二調理室」と書かれた扉が見えた。