高校二年生の夏休みを目前に控えた教室。
 蝉の鳴き声が響く田舎の風景が学校を囲んでいる。
 温暖化とはよく言うが、今年の夏は尋常じゃなく暑い。
 暑いのレベルを超えて暑い。
 しこたま暑い。
 そしてその暑さを拡張させるかのように、一際熱気を発散させている男が1人。
 名前は成岡 真輝(ナリオカ マキ)。教室の丁度真ん中に位置取り、頭を抱えている。
 額からは粒状になった汗が滝のように流れ落ち、机の上に溜まっている。
 明らかにおかしい彼に誰も声を掛けないのは、その形相のためだ。
 大きく見開いた先にある瞳は何処を見るでなく、上下左右を繰り返している。
 今現在、見えない恐怖にクラス中が支配されていた。
 

 話は早朝にさかのぼる。
 真輝はいつものように朝食を済ませて早めに家を出た。
 向かいの家に住む幼なじみ、白木 白兎(ミシラギ ハクト)を迎えに行く為だ。
 昔から白兎は朝が弱かった。
 だから、白兎が遅刻をしないために迎えに行くのはいつも真輝の仕事だったのだ。
 それは高校生になった今もかわらない。
 迎えの家の前に立つと、いつものようにインターホンを押す。
 眠たい目をこすり、寝癖のついた頭のままの白兎。
「おはよう」と挨拶を交わす。
 それを可愛いと思い始めたのはもう何年も前だ。
「・・・・・・・き」
 その可愛いが恋だと気付いたのも。
「まーーーーーーきっ!!」
「っ!?」
 急に近くから大きな声で呼ばれ耳を塞ぐ。
「まき。聞いてるの?!」
 細い眉を歪めながら白兎は膨れてみせる。
「え?なに。ゴメン聞いてなかった」
「まったく、何考えてたんだか」
 白兎がどれだけ可愛いか考えていたなんて口がさけてもいえない。
「で・・・なに?」
「うん。あのさ、明日からもぅ朝迎えに来なくていいから」
「え?な・・・なんで」
 思いがけないセリフに動揺してしまう。
「あ〜〜・・・えっと・・その・・毎日迎えに来てもらうってのも悪いしさ」
「そんなん今更だろ」
「そぅだけど・・僕ももう高校生だし・・・さ・・」
 嘘をつくとき目線をそらす癖。
「それ・・それに・・・」
「それに?」
「ぼ・・・僕・・好きな人が出来たんだよね!だから!その子と一緒に行きたい・・・
ていうかさ!」
 後半はまくし立てるように白兎は言い、顔を伏せた。
「な!だから!僕・・・あの・・真輝には悪いと思うけど。明日からは迎えに来な
くて・・・いいから・・・・じゃぁな」
 足早に立ち去る白兎を真輝は追いかけることができなかった。

 嘘をつくとき、白兎は目線をそらす癖がある。
 それに気付いたのは、もう大分前になる。
 小さい頃、白兎は恐ろしいほどに臆病な性格だった。
 人と関わることに慣れていない・・・というよりは、どうやって慣れるのかを知
らないという節があった。
 真輝が初めて白兎と言葉を交わしたのは、毎日の迎えを始めてから3ヶ月も経っ
た頃のことだった。
「あの頃の白兎は、ちっちゃくって・・ぷにぷにしてて・・可愛かったな〜・・・」
 ため息を1つ。
 白兎は可愛い。
 小学校に入って、同じクラスになった白兎はずっと真輝にベッタリだった。
 席が離れてしまって小さく震え、授業中もちらちらと真輝にばかり目をやってい
た。
 休憩時間となれば、脱兎のようにやって来たのを覚えている。
 だが、時と言うのは残酷だ。
 人は変わる。
 成長するのだ。
 少しずつ白兎はみんなに心を開くようになった。
 彼女がいたことだって知っている。
 決まって年上の女だ。
 告白されて付き合うという事が多かったが、白兎は付き合う彼女たちを、大事に
した。
 今回だってそうに違いない。
 白兎に愛されると考えるだけで心が身震いした。
「なんでオレ・・・女に生まれなかったんだろ・・・・」
 ボソっと呟くと、真輝は肩を叩かれた。
「お前、何気持ち悪いこと言ってんの」
「岡・・・・っ」
 岡 秀哉(オカ シュウヤ)、彼もまた小学校からの腐れ縁。
 白兎に彼女ができるたびに、岡の家に押しかけては泣いた。
 唯一、真輝の気持ちを知っている人間とも言える。
「お・・・岡ぁ・・・」
 心許せる友人を見て心が緩んだのか、その瞳には大量の涙をため、声を震わせる。
 岡はただ小さく「うっ・・」と唸ると、声を掛けたのをしくじったというふうに
頭を掻いた。

 学校に着いて早々、真輝は岡を屋上に引っ張った。
「オレ、今日日直なんだけど・・・」という岡の言葉はあえて聞かないことにした。
 なぜなら、真輝は白兎のことで頭が一杯だったからだ。

「で?今回はなんだ。とうとう白兎に絶交でも言いわたされたんか?」
 学生服の袖をガッチリと掴み、メソメソと泣き続ける男を見下ろすように岡は問
う。
 こういうときの真輝は、何を言ってもムダだというのを岡はもう知っている。
「白兎・・・・・っ」
 “白兎”という名前を聞いた拍子に泣き声が増す。
「お前、本当に女々しいよな。見た目と違って」
 呆れたように言い放つ前に泣き崩れる真輝は、たしかにか弱いというイメージは
ない。
 下級生の女子に「カッコイイ」と噂されているのを岡は何度も耳にしている。
「おら、話してみろ。何があったんだ?」
 諦めたように、垂れた真輝の頭に問いかける。
「・・っ・・たく・・ないって・・・」
「ん?」
「白兎が・・・・・っ・・」
「白兎が?」
「オレとはもう登校しないって・・・迎えに来ないでって・・・好きなヤツと一緒
に行くからって・・・・・えっく・・」
「・・・・・・・・・」
「さ・・・寂しいよ・・・・白兎・・・・・グス」
 もう、「カッコイイ」と騒がれるような真輝は見る影もなく、涙と鼻水で崩壊し
ていた。
 さすがの岡もコレには呆れるしかない。
「真輝」
「・・・えぅ・・・白兎ぉ・・・」
「真輝っ!」
 岡は泣き崩れる真輝の肩をゆする。
「寂しいよぉ・・・白兎ぉ・・・」
 こうなってはどうしようもない。
 経験上良く知っている。
知ってはいるが、これはウザイと思う。
「白兎に彼女が出来たなんて、初めてじゃないだろう」
「・・・・・ぅぅ」
「いくら白兎が可愛くたって男だぞ?」
「だって・・・・・」
「お前だって好きなヤツと登下校したいとか思うだろ?」
「・・・・ぉもぅ」
「だったら、好きな相手と居たいのにほかのヤツがいたら邪魔だと思うだろ」
「・・・ぉもぅ」
「ウザイと思うだろ?」
 “ウザイ”という単語がヤケに強調して聞こえるのは気のせいではない。
「・・・・・ぉもぅ」
「そういうことだ、な!・・・な!?」
 ユックリと岡の袖から真輝の腕が外れた。
 うなだれるようにへたり込んだ真輝からの言葉が途切れると同時に、1限目の終
わりを告げるチャイムが鳴る。
 岡は、しばらく考えた後、「授業に戻るぞ」と言葉を残してその場を後にした。


 昼休みになると、屋上も賑わい始める。
 屋上は閉めきられ、一般生徒は入れないという学校も多いようだが、この学校で
は開放されていた。
 高い柵に囲まれ、沢山の草花が植えられているのは、緑多い町。
町長の新たな政策の故だと校長が言っていた。
 四方を山に囲まれたこの田舎町をこれ以上緑化してどうするんだと思ったが、白
兎はとても歓んでいた。
 華のように可愛い白兎が花をめでる姿はこれまた可愛いと真輝は思った。
「やっぱ・・・オレ、白兎のこと好き・・なんだよな」
 確かめるように・・・かみ締めるように、真輝は青い空に向かって呟いた。


 真輝が教室に戻る頃には昼休憩も終わりに近づいていた。
「お、やっと帰ってきた」
 教室に入る早々、岡が手を振る。
「気持ちは落ち着いたか?」
 クラスの真ん中に位置する自分の席に鞄を置くと、隣の席に腰掛けていた岡が顔
を覗き込む。
「目、赤いぞ。顔洗ってきた方がいいんじゃないか?」
「いい。有難う、岡」
「いや、いいんなら・・・いいんだけどさ」
 沈黙。
「あ、そういやお前のところに、1人可愛い子が訪ねてきてたぞ?」
 声を発したのは、佐伯だ。
 クラスでは、岡と並んで良くつるんでいる。
「まだ同じクラスになったことないヤツだとおもうんだけど・・・たしか・・・1
組の・・・シロ・・・」
「白兎!」
「おぉ、そうそう、シロウサギちゃんだ。スゲー可愛いかった」
「忘れてた!いつもお昼は一緒に・・・っ」
 あわてて立ち上がり教室を出ようとする真輝の腕を佐伯が掴んだ。
「まぁ待てって。そのシロウサギちゃんが、“今日は用事があるから一緒にお昼で
きない”って言っといてくれって言いに来たんだって」
「え?」
 途端、治まったかにみえた胸のざわつきが再び真輝を襲う。
「ゴメンって言ってたぞ」
「そ・・・そっか」
 いきさつを知っている岡は、あえて触れてこようとはしない。
 真輝の声がいつにも増して震えていたからだ。
「そっか・・」
 繰り返すように真輝は口の中で言葉をつむぎ、ゆっくりと自分の席に腰を戻した
。
「・・・戻ってくるよ」
 視線を外にやったまま岡は言う。
「いつも白兎が戻る先はお前の所だったろ」
 聞こえるか、聞こえないか。
「これまでも。きっと、これからも」